クレジット&キャッシング カード業界のコールセンターからみた裏側クレジットカードの仕組み日本のクレジットカードの原形

日本のクレジットカードの歴史は、「伊予の椀舟」からはじまるといわれています。
江戸時代中期、伊予(現在の愛媛県)の人たちが、瀬戸内海から九州にかけて、杜氏としては高価な商品だった食器を販売したその方法が、クレジットカードのルーツと言われています。
ホテルなどの宴会場がなかった当時は、冠婚葬祭のすべてが自宅で行われており、それなりの家では、それ用に何人分もの食器を用意しておく必要がありました。
その高価な食器セットを販売するために、盆暮れ払いのクレジットがはじまったわけです。

盆暮れ払いになった理由は、椀舟に乗った人たちは商人ではなく、半農半漁の人たちでしたから、農閑期にしか舟を出すことができずに、年に二回のこのような支払方法になったということです。
念のために付け加えておくと、椀舟というのは椀を売り歩いたからこのようにいわれるのであって、一寸法師の椀の舟ということではありません。


椀舟商法は、明治になって鉄道網が敷かれ、産業が興ると人々の生活スタイルも変わり、自然と廃れていきました。
人の移動も活発化して、都市化が各地で進むにつれて、椀舟商人たちも陸に上がり、店舗を構えるようになりました。
現在ではみかけることもなくなってしまいましたが、月賦百貨店という月賦販売の専門店です。
専門店というと、ある特定の商品を売っている店のことをいいますが、この店は売り方が専門店だったわけです。


この月賦百貨店は、明治から大正にかけて全国に出店され、庶民に歓迎されました。
もっとも月賦は借金だということで、質屋に入る恥ずかしさが買物にはともなったそうです。
1923年の関東大震災は、月賦百貨店に追い風となりました。
当時の東京の中心部をさけて、山の手といわれる新宿、渋谷方面に多くの中間所得層が住居を移動しました。
当然家具なども必要になり、月賦百貨店が大繁盛したといいます。


20年代後半になると、1927年の金融恐慌、1929年には世界大恐慌、1931年には満州事変の勃発と暗い事件が続くようになりましたが、月賦百貨店は順調でした。
それも第二次世界大戦までです。
戦時統制が始まると、このような平和産業は全て廃れてしまいました。


戦後の動乱がおさまると、月賦百貨店やミシンのメーカーが月賦販売を再開するようになりましたが、これらの動きとは別にまったく新しい商売の形態が生まれました。
チケットクーポンといわれる証票を使った月賦販売が始まったのです。


初めてチケットを使って月賦販売を始めたのは、京都の商店組合でした。
1950年のことです。
この月賦販売の方法は、切り取りミシン目入りの金券(50円券、100円券、500円券など)をつづりあわせて、一冊を3,000円程度のチケットにしたもので、各職場と契約してその職域単位に会員になった消費者にチケットを配布し、会員はこのチケットで商店組合参加の店で分割払いの買物ができるというものでした。
この商法は大ヒット商品になり、その後全国の商店組合が導入することになりました。
利用者からの集金は、会員の勤める会社の給料からの天引きなので、ほとんど取りっぱぐれもありません。
実に堅実な仕組みです。

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